Future Failure
こないだ、めでたく2000本安打を達成した石井タクローだが、父君は菊次郎さんと言うらしい。
石井菊次郎。。。
たれぞ、そんな同姓同名の人物が居たような・・・と思ったら、明治~大正期の外交官・石井菊次郎であった。
1915年に成立した大隈内閣にて外務大臣に就任。
1917年には駐米大使としてアメリカの上下院にて演説を敢行し、中国における日本の特殊権益をアメリカに認めさせることに成功。アメリカ国務長官ランシングとの間に結んだ石井-ランシング協定の締結に漕ぎ着けた。
欧米の帝国主義が蔓延る中、日本が果たした役割の代価である国家の権益を大国に認めさせるだけの見識と語学力を持ちつつ、暴走する陸軍には肯んじずにドイツとの同盟に終始反対し続けるなど国粋主義には陥らないバランス感覚を持ち合わせた稀有な外交官だった。
日本は第一次世界大戦で連合国側に付きつつも、基本的にはヨーロッパの戦線には参戦せずに山東省(青島等)や澎湖諸島といった中国におけるドイツの権益を火事場泥棒的に奪って行った。そして、この山東省の権益を石井-ランシング条約でアメリカに認めさせるわけだが、こうした日本のやり方にヨーロッパが激怒。アメリカもこれを汲み、戦後のワシントン会議にて自ら中国に関する9カ国条約を主導、日本に石井-ランシング協定の破棄を要求し日本全権だった幣原喜重郎がそれを飲んだだめ、対華21カ条要求などで中国への権益を強めていた日本を強く牽制したのだった。
ワシントン会議では、同時に列強の海軍保有力に関する取り決めである「ワシントン海軍軍縮条約」も締結されたが、この中身を見ても、英米の主力艦保有率5に対して日本は3しか認められなかったため(日本は3.5を主張)、この会議は欧米がアジアにおける日本の伸張を危惧し、出る杭を打とうと開いた会議であると解釈出来る。
なお、石井は、1920年から1927年まで駐仏大使をつとめる傍ら、国際連盟理事会日本代表も兼任。その後は日本における国際連盟協会会長をつとめ、貴族院議員・枢密顧問を歴任。
石井は「条約など紙切れ一枚」などとして来たドイツの伝統的な外交姿勢を引用し、「ドイツほど信用出来ない国は無い」と、彼の国との同盟論を批判し続けていた。この点、「欧州の情勢複雑怪奇」などと愚かしい発言をして内閣を総辞職した平沼騏一郎などとは格の違う洞察力を伺わせる。
1945年5月東京空襲のおり、戦災に遭い死亡。80歳だった。
と、知ったような事を書いたけど、殆どが調べた上なので、石井-ランシング協定を締結した人だって以外全く知らなかった。つーか、石井-ランシング協定の中身ってこんなだったのな。
しかし、彼がこれ程遵法精神に富み、左右に偏らないバランス感覚を持ち合わせ、アゲインストな状況の中、アメリカの議会で自国の国益を守りつつ相手国を説得出来る雄弁さと語学力をも持った外交官だったなんて知らんかったよ。内憂外患を抱えているにも関わらず無能揃いの外務官僚しか居ない今だからこそ、こういう石井のような人物が必要とされてるんじゃないかね?
ああ、でも、石井が外交の一線から退いてから、日本は国連を脱退し戦争へと邁進していった訳だけど、彼はそれをどんな風に見ていたのだろうか。こういう人が何を考えていたのかが、すげー気になる。『外交余禄』と『石井菊次郎遺稿 外交随想』っていう著作があるらしいので読んでみたい。売ってるか知らんけど。
まあ、そんだけの話。
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